群れと渡り - 高橋伸夫


 今では見る機会が少なくなったが、巨大な生き物のような、煙のようなハマシギの大群がいっせいに体を翻して輝いたり消えたりする大空のマスゲームを見ていると、必ずといってよいほど「あの群れのリーダーはどの鳥ですか?」と質問されたものである。

 ツルやハクチョウなどのように大型で養育期間の長い鳥では基本的に秋冬も家族単位の群れで行動するので、その場合は親鳥がリーダーだといえるかも知れないが、群れで渡りをする場合、その中の成鳥の動きが群れに大きな影響を及ぼすであろうと考えられる。単に経験の有無が行動の強さに反映されると推測されるからだ。しかし、一般に秋冬に見られる鳥の集団では特定の一羽、あるいは数羽の個体がリーダーとなって群れの行動をコントロールしているわけではないということは確かなようである。

 大抵の鳥にとって、渡りをすることは命をかけるほど大変なことである。渡りに限らず、餌を探したり水浴びをしたり休息したりといった日常の生活の中では自分のことだけで精一杯であり、特に小鳥の仲間は繁殖期が終われば、たとえ伴侶や子供が同一群内で確認できていたとしても、互いに気を遣って行動できる余裕は少ないか、あるいは全く無いようにみえる。まして一羽の鳥が沢 山の仲間を気遣って、その群れを統率できるような余裕も能力も無いと思われるし、実際に野外での観察例は無いだろう。



 比較的寿命の長いカモの仲間では、もう少し人間的に互いの安否を気遣っているようにみえることがある。11月15日狩猟解禁の朝、一斉射撃で散り散りにされたあと、再び一羽か数羽で危険な場所へ舞い戻るのであるが、そのときの姿はいかにも不安そうにキョロキョロとなにかを探している。こうした鳥はかなり無防備で、待ち受けるハンターの格好の標的となってしまう。探している 相手が伴侶なのか家族なのか、あるいは単に群れなのかは分からない。

 海を渡るヒヨドリの群れを見ていると、それぞれの鳥の気持ちが分かるような気がする。何処で生まれた鳥かは分からぬが、雪の多い地方のもの程長距離の渡りをするといれれている。繁殖他の近くに留まるものはなわばりを待った成鳥が多いであろうから、我々の目にする渡りのヒヨドリはその年に生まれた若鳥が多いはずである。広大でキラキラ輝く海を渡るのが初めての体験ならば、 体の中の命令と目の前にある恐怖の間で葛藤する気持ちは人間の子供と変わらないだろう。私には故郷郡上八幡の吉田川にかかる橋の上が思い出される。

 鳥の群の行動には秀でた一羽のリーダーなど不要である。基本的にはそれぞれが自由であって、群れ全体の行きたい方向に行くのである。おいしい餌や危険な外敵をみつけた者がその場のリーダーであり、誰もがその役を担う。ハマシギが一瞬に翻るのは伝達能力の速さであり、ヒヨドリの躊躇は優しさである。群れが渡りの態勢に入るとき、「エイヤッ]というヒヨドリたちの掛け声が聞こ えてくるような気がするのは、私だけであろうか。



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